プロフィール

自分の選択に自信が持てるカウンセリング
HSPカウンセラー 竹本 雫花

いつも他人を優先し、他人の顔色をうかがって、波風立たないよう選択してきた私は、どの職場でもセクハラ・パワハラ・リストラ・ストーカーといったトラブルメーカーに遭遇。

「助けて」が言えず、100時間越えの残業が3ヵ月続いた後、適応障害に。

「このままでは、生きづらいままの人生で終わってしまう」と勇気を振り絞り自分と向き合いました。
その結果、「他人の為」から「自分の為」の選択ができるようになり、
人生が大きく変わったのです。

私のカウンセリングでは、次のような方がご相談に来られます。

・人一倍繊細で敏感なHSP、HSSでお悩みの方
・アダルトチルドレンの要素が高くて、生きづらさを感じている方
・対人不安を抱え、人との距離感がわからなくなっている方
・適応障害や慢性うつで仕事上で大変なストレスを抱えている方

このような悩みを短期間で解決して人生を好転させるためには、
HSPカウンセラーである私と
悩みを抱えているあなたとの相性がとても重要になります。

ですので、少し長文になりますが
ぜひ、私のプロフィールを読んでみてくださいね。

いわゆる「いい子」だった幼少期

幼い頃、母によく言われた言葉は「あなたはお姉ちゃんなんだから」「みっともないからやめなさい」「後ろ指さされないようにしなさい」と厳しく育てられ、甘えたくても甘えられませんでした。

父は無口で笑わない人。いつも表情と空気を読んで嫌われないように振舞っていました。5~6歳の頃から親の目を気にし、人からどう親が見られるか、自分がどう見られるかを常に気にしていました。

小学生のとき友人に裏切られ人が怖くなった。誰にも言えなかった摂食障害

小学校6年生の時、友人グループに裏切られて以来、基本的に人を信用できなくなってしまいました
女同士は他のグループと仲良くすると、裏で文句を言ってたり、同じグループ内でも派閥があったり、窮屈で面倒で、 団体行動も苦手でグループに属さず、数少ない気が合う人とだけ付き合う一匹オオカミタイプでした。

小学校3年生までは肥満気味で背も大きかったので(小学6年生で163㎝はあった)縦にも横にも大きく目立つ事への恐怖心で食べる事、体重が増える事が怖くて摂食障害にもなっていました。

最初の就職で失敗し転がり落ち続ける20・30代

私の就職活動は、超氷河期と言われた時代。やっと営業で入社した会社は宗教色が強く、役職クラスはほぼ回心をしていました。
週1の朝会では聖書の1節を読んでから業務報告。さらに上司は言葉がきつく、もたつく私に

「お前、そこの窓から飛び降りろ(41階)」

冗談交じりで言い放ち、入社したての私には衝撃が強く
(なんでこんな会社選んじゃったんだろう…ありえない、おかしい!!)
あまりにも辛くて、入社1ヶ月半で退社しました。

  セクハラ・パワハラ・リストラ・ストーカー

その後も、20代の派遣社員時代は行く先々で理不尽な目にあっていました。

見知らぬ他部署の男性に話しかけられ、それ以来頻繁に社内であったりエレベーターで二人っきりになったり。耐えられず会社に相談すると、次の契約更新は人件費削減という名目で契約満了

次の派遣先では、定時で上がる直前、上司に打合せの同席を求められ、予定があったので「次回は必ず」と丁重に断ると契約更新はありませんでした(その人は過去に派遣社員を出張まで同行させ社内で問題になった人でした)。
どこへいってもその会社で「問題あり」「クセが強い」「気難しい」で有名な人がよってきたり、その人にあてがわれたり、思い通りにならなきゃ切られるし。

気づけば20代で、セクハラ、パワハラ、リストラ、ストーカーと、一通りのトラブルは経験しました。

派遣社員に見切りをつけて正社員の道を歩む

派遣社員だから、立場が弱い分、嫌な目にあってるに違いない。
生活を安定させたいし、年齢的にも正社員で働いて、バリバリ仕事が出来るようになりたい。

そう思い、30歳を期に正社員の道を歩み始めます。

「もう辞める事はしない。次は一生ここで働くんだ!」と。

毎日終電で自分がもたない・・・

そこで飛び込んだのはウェブ業界。まだ業界が新しく、ルールがあってないようなもの。ベンチャー気質で年功序列とは程遠く実力主義、業績によっては新卒よりも給料が低いことも。今までいた世界とはまるで違いました。

残業のない生活から毎日終電生活は安定したかもしれないけど、「もう自分がもたない

会社の産業カウンセラーに見てもらい、鬱気味だと言われたのを機に異動を願い出ると人事役員から嫌がらせを受け3カ月後になんとか異動。

しかし、ある日突然他部署の営業が「今度うちの仕事お願いするからよろしくねー」と言うので意味が分からないまま数日後、上司から「人が足りないから手伝ってやれ」と命令が。結局部署を掛け持ちし、仕事は2倍。

(上司は異動事情を知っているはずなのに、承諾するなんて信じられない。)

と怒りに震え、意を決して上司に抗議すると「つべこべ言わずにやれ。」の一言。

(あーだめだ、この人に何を言っても無駄だ…この状況が変わるのは私が辞めるしかない…)せめて「よくやってくれて、ありがとう」とねぎらいの言葉があったら辞める事はしなっただろうに。

「次こそは」と誓ったはずなのに、再び転職することに・・・

毎日、終電残業でめまい、血尿、呼吸困難に・・・

その後に入った会社も同業界なので、毎日終電残業、移動中もメールチェック、週末出勤。立ち上がったばかりの会社で部署もあってないようなもの。出来る人、やれる人、やりたい人がやる。

そこでもセクハラはあったし、発達障害の部下に頭を悩ましたり、手柄を横取りする人、仕事の丸投げ

「No」と言えず、空気を読みすぎて、いつも我慢し、ストレスを貯めながら「仕事が出来るようになりたい、目の前の事をクリアしなければ」と働いていました。

めまいがしても、血尿がでても、肋骨にヒビが入っても、呼吸困難で夜間救急に運ばれても・・・

休みたいのに、他に代わりがいない、締め切りに穴をあけられないと出勤し。
休めば仕事が積みあがる恐怖でゆっくりできない、ちょっとしたランナーズハイでした。

転職しても業界が同じだと残業時間も変わらず…。毎月80時間は当たり前のように残業していました。

ついに適応障害に

30代後半、働き方の転機を迎えます。
その会社は転職したばかりで慣れない業務と、毎週のトラブル対応に追われ、月140時間の残業

やってもやってもどんどんやってくる仕事と締め切り。
「逃げ出したい、辞めたい」
でもそんな自分が許せないし、認めたくない、仕事が出来ないと思われたくない
迷惑をかけたくない、会社にも取引先にも。

「助けてほしい」「手伝ってほしい」が言えなくて、頑張り続け、八つ裂きの刑で両手両足が引きちぎられ、首の皮一枚かろうじてつながってるような感覚でした。

誰かに知って欲しい…と勇気を振り絞って、同僚に打ち明けると「辞めてもいいけど、一旦、休んでから決めても遅くないよ。休職した方がいい。心療内科に行ってきな」そう言ってもらい、藁にも縋る思いで心療内科に行きました。

「適応障害です」と診断され、診断書をもらいほっとした反面、それでも(これを提出したら社会不適合者だ、烙印をおされてしまう)と1週間程持ったままでした。

ついに脳がシャットダウン。休職へ。 

ある日突然、脳のシャットダウンが起こりました。

先輩が話しかけてきたのに、少し霞がかって視界が遠いような、音(声)は聞こえてるけど意味はわからない。
口をパクパクしてるようにしか見えない、少しスローモーションに感じる…、

(あれ??これは…これ以上はやばい、ギブアップだ)とすぐさま診断書を会社に提出しました。

「明日からこなくて大丈夫だから」と(へ?ほんとうに?引継ぎは??)と辛いながらに戸惑うも、数時間後には会社を後にし休職となりました。

自分をあきらめることで人生の転機を迎える

「原因を突き止めてなんとか復職を…」

時間は沢山ある。

自分の何がいけなかったのか自己分析し、催眠療法(ヒプノセラピー)やタイプ診断(MBTI、エニアグラム、パーソナル診断)やコーチング、セッションを受けたり、心理学本を読む日々が続きます。

アダルトチルドレン系の心理本はよく読んでいたのですが
HSP(HSS)やエンパスという言葉に出会ったのもこの頃でチェック項目は9割当てはまっていました。

でも、HSPと分かったとしても「だからどうなの?」と、最初は受け入れられていませんでした。

どうして適応障害になったか分析して原因が分かっても、
会社に戻れば、今までと状況は全く変わらない・・・

半年休職したのち復職はしませんでした。

ついに自分の人生を歩きだす

退職したので時間は沢山ある。

もう今までの働き方では一生働き続けられない。

ここまで来たんだから、これからは自分がやりたいことで仕事がしたいとキャリアチェンジを試みました。
20代前半からカウンセラーをやりたいと思っていたけど、生活はしていけないし、人を助けてあげたいなんて、上から目線なんじゃないかと葛藤しながら頭の片隅に追いやり、転職の度に思い返すもまた消えての繰り返し。

もともと周囲から相談を受ける事が多かったので、我流ではなく勉強をして転職経験の多さや人間関係で悩んできた経験を役立てたいと、2016年国家資格キャリアコンサルタントを取得しました。

自分の選択に自信が持てるようになった今

HSPであることを受け入れ始めた時、

なぜ、私は転職が多いのか、
なぜ、セクハラやストーカー、パワハラの対象になってしまったのか、
なぜ、周りの人に気を遣いすぎて、自分の人生が生きられなかったのか、

それらが腑に落ち、自分を責める事が少なくなっていました。

転職回数の多さ=社会不適合者だと思っていたので、父親のように大企業で長く勤めあげられない自分は、ダメな人間だとも思っていました。

「自分はこれでいいんだ…」そう思える時間が増えていった時、(もうここまで来たんだからカウンセラーを始めてみよう)と覚悟が決まったのです。

その後も、心理療法をむさぼるように学び続ける中で、たくさんの人たちの心理相談に乗ってきました

そして、色んなご縁や人に恵まれながら協力を受けて、HSPの特性を生かした「自分の選択に自信が持てるカウンセリング」を提供しています。

・過去の事を「あの時、別の選択していればこんなはずじゃなかったかも」と思う事がある。

・相手を優先しすぎて自分の本心がわからない。

・残りものには福がある、なんていって自己主張しない。

・頑張ってるのに報われない気がする

・正直すぎて利用されやすい。

・自己中心的でわがままの人の方が評価されてむかつく。

全て過去の私のことです。

私はHSPということを知らずに生きてきました。
HSPだということを知って、そこから心理学を学び、試行錯誤を繰り返して、
人生が大きく変わるまでに膨大な時間を費やしてしまいました。

でも、あなたは人生を好転させるために、
そこまでの長い時間と労力をかける必要はありません

HSPやアダルトチルドレンの要素が高い人が
短期間で人生を謳歌できるように
「自分の選択に自信が持てる」ように独自のカウンセリングであなたを導きます。

あなたは、今まで十分まじめに頑張ってきました。
思いやりがあふれるあなたは、必ず幸せに生きるための能力を秘めているのです。

もうストレスをためこんで、悩み続けるのは終わりにしませんか?

あなたのような人がちゃんと報われて生きやすい社会を作るお手伝いを私なりのやり方で貢献できたらと思っています。